ブログの更新が途絶えていた。
「忙しかった」と言ってしまえば、そうかもしれない。
けれど、それだけじゃないことは、自分がいちばんよくわかっていた。
ことばの難しさに悩んで、潜っていた。
それが、たぶんいちばん正直な理由だ。
経験を重ねるほど、言葉にするって、
こわいなと思う。迷いばかりがうまれる。
ほんとうのことほど、出せなくなる。
いくら、どんなに静かに書いたとしても、
誰かの中で、ぜんぜんちがう意味に変わってしまうことを恐れてしまう。
怖い。
それがどれほど行動にネガティブになるのか、
トラウマ体験ほど厄介なものはない。
わたしは、言葉に傷ついたことがある。
悪意ある強い言葉を前に、逃げ出した過去がある。
それ故にいまだ、自分に向けられていない言葉でさえ、
自分のことのように怯えてしまう。
体がすくんで、動かなくなる。
気にしすぎだと言われても、
それ以上、前に出ることができない。
もうそんなことは過去のことで、
風化しているように見えても、
あの時と同じ傷口を保ったまま、ずっと癒えない。
あの痛みは、ぶん殴られるより、ずっと痛い。
腕っぷしでの殴り合いなら、お互い痛い。
でも、言葉にはそれがない。
相手の中に、「傷つけた実感」が残らない。
だから謝罪もされない。
こんなに痛くても、気にもされない。
一方的に刺されて、
言われた側だけが、ずっと、癒えない。
ことばのナイフには、それほどの威力があることを、
わたしは知ってしまった。
だから、少しずつ、少しずつ――
自分の言葉を載せることが、こわくなった。
ことばにして書くことで、
“それだけ”をつくるような気がして。
そしてそれが、守りたいものを壊してしまうかもしれない。
黙っていれば、守れるような気がしてしまう。
出さない方が、ずっと楽で、
ぬるくて、心地いいことを見つけてしまった。
攻め方も、守り方も、わからない。
ただ、現在、いまここにいる。
ほんとうは、
ただ紡ぐ言葉は、零れ落ちる露のようなもので、
攻撃を含まず、
自然に滴る、わたしの「わたしだったもの」のかけら。
そんなものたちを、ここで。
自分の中にあるものを、
そっと差し出したいだけなのに。
少し前までは、もっと自由だった。
堂々と書けたし、むしろ言葉にすることを楽しんでいた。
「怖さ」なんて、感じたこともなかった。
でも今は違う。
言葉を出すたびに、
どこかで、自分の輪郭が削れていくような感覚がある。
いまだ、それは答えが出ない。
それでも、いま、こうしてまた言葉にしてしまうのは、
たぶん――
書けなくなった自分を、
書くことで、
そっと抱きしめているのかもしれない。


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